石と水の物語(No.13)~柳の水 『柳水町』
「柳の水」は、西洞院通三条通下ルにある名水で、地下25mからポンプでくみ上げられ、現在も市民が利用している。このあたりは織田信長の二男・信雄の屋敷跡で、江戸時代以後は紀伊徳川家の京屋敷となり、現在は馬場染工場が建っている。また崇徳上皇の御所があった場所、千利休も茶の湯に使うなど著名人ゆかりが多い。
Updated Date : 2025-10-31 20:53:45
Author ✎ 京都再発見
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千利休も茶の湯に使ったという「柳の水」
織田信長の二男・ 織田信雄がこの地に住み、井戸のそばに柳を植えたともいわれる。
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碑文
この柳水町あたりの地は、平安時代末期には崇徳院の御所があった所で、 「今鏡」に「崇徳永治元年新院十二月」九日ぞ三条西ノ洞院へ 渡らせ給ふ、太上天皇の尊号をたてまつらせ給」とある。  また、近世初期には、織田信長の子、信雄の屋敷になっていたようで、 「雍州府志」は「在西洞院三条南元内府織田信雄公之宅井也、 斯水至清冷也、植柳於井上避日色、因号柳の水、千利休専賞此水点茶、故茶人無不汲之」 此水至って清冷なり、千利休此水を沸してもっぱら茶の水とす。 町名は、寛永十四年(一六三七)洛中絵図に「柳水町」とみえ、その後、変化はない。 なおこの邸跡は紀州徳川氏の京都屋敷となった。  二〇〇一年三月吉日 施主 馬場孝造
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吉川英治の「新・平家物語」にも登場している。
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石碑(茶人珠光・織田信雄・加藤清正・紀州藩邸の古蹟)
茶道の祖 村田珠光の住居跡地 織田信長の二男 織田信雄の屋敷跡地 武将 加藤清正の京邸跡地 徳川御三家 紀州和歌山藩邸跡地
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中京区柳水町
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