「一休和尚」がハンストを図った寺跡を訪ねる 〜 『戸陀(しだ)寺跡』
「しだじ」は仏教用語で、身体と心の悩みや願いの成就を意味する。権威や形式を嫌い世俗から離れ、型破りな生き方をした一休さんらしい命名。54歳の時、山にこもり、絶食絶命を図ったが天皇の「落とし胤」であるだけに勅命で諫められる。隠棲の場所は大原野出灰町(いずりはちょう)の譲羽山(ゆずりはやま)(本文へ続く
Updated Date : 2025-11-07 17:14:57
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で民家を借りて住んだ後、「尸陀寺」という草庵を創建したと言われる。俗世の争いによる厭世観から、死を決し再訪問した場所である。
人里離れた、熊が出没してもおかしくない山道を辿り、同行の仲間とともに寺跡と石碑を確認することができた。場所は大原野出灰町(いずりはちょう)。たまたま、先日のこと国立京都博物館の展示で見た「下山する釈迦」の絵画が頭に浮かんだ。
お堂
一休は、俗世の争いによる厭世観から、死を決して当寺を再訪するが、後花園天皇は、詔勅を送ってこれを思い止めたという。
晩年の一休は、兵火に焼けた大徳寺の第48代住持として同寺の復興にあたり、文明13年(1481)、酬恩庵(京都府綴喜郡田辺町)で88歳の生涯を終えた。
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石碑
尸陀(しだ)寺跡を示す石碑(京都市西京区大原野出灰町)
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西京区大原野出灰町 戸陀寺跡
34.94270130901644
135.6128397415523
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17
34.94270130901644,135.6128397415523,0,0,0
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