月刊 京の舞妓さん 2月号 【1】/2013年 - 舞妓倶楽部
立春前夜とは、読んで字のごとく、立春の前の晩のことである。そう、2月3日だ。この日は、旧暦でいう「年の終わり」にあたり、世界の秩序が「旧」から「新」へと大変動するので、福をもたらす「年神」のような存在と、「鬼」のような災禍(さいか)をも...
Updated Date : 2017-09-14 15:49:20
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立春前夜の花街『お化け』にみる“エンターテイナー魂!”
立春前夜とは、読んで字のごとく、立春の前の晩のことである。そう、2月3日だ。この日は、旧暦でいう「年の終わり」にあたり、世界の秩序が「旧」から「新」へと大変動するので、福をもたらす「年神」のような存在と、「鬼」のような災禍(さいか)をもたらす存在のどちらもが共存すると信じられてきた。
そのため、節分になると「豆撒き」のような追難儀式が今日も行われているのだという。花街によっても若干日付は前後するが、祗園甲部、宮川町、先斗町、祇園東の四花街の芸舞妓さんは八坂神社で、上七軒の芸舞妓さんは北野天満宮で、奉納舞を舞われる。特に今年の2日、3日は週末だったこともあり、どちらも寺社を埋め尽くすほどの人たちで賑わっていた。
各花街の舞妓さんたちは、年男の氏子さんらと共に鬼を祓うべく、境内から福豆を撒かれる。その度に「福は~内!」と声をそろえて、空に向かい、手を伸ばす参拝者たちの姿は、圧巻。福豆の入った小さな袋を撒く、宮川町舞妓のとし真菜さんや祇園東舞妓の富久春(ふくはる)さんのひだまりのような笑顔が印象的だった。
しかし、実は、花街で行われるのは「豆撒き」だけではなかった。鬼の「厄」が憑かないようにと、舞妓さんや芸妓さんのあいだでは、ユニークな「厄祓い」が行われていたのだ。季節にたとえていうなら、立春前夜は、ちょうど秋・冬の「暗」から春・夏の「明」へと変わる季節の境目にあたる日。あら。舞妓さんの様子がどこかいつもと違うぞ。さて、こちらは宮川町舞妓・とし結さんである。お写真をじっくりとご覧いただきたい。さて、どこがいつもとちがうのだろうか。お化粧か、お着物か、それとも…?
答えは、「髷(まげ)」である。「髪型で女性の雰囲気はグッと変わる」とはいうが、あんみつ姫を思わせるこの可憐な「変わり髷」に、バーチャル世界に誘われたような、ファンタジックな気分がふんわりと胸に押し寄せてはこないだろうか?普段、舞妓さんは「おふく」か「割れしのぶ」のどちらかに結われているが、こうして、いつもとは違う「扮装」をされることで、目には見えない鬼を驚かせているのだ。
水面に浮かんでいる姿そのものが晴れやかな水鳥、オシドリを模した「おしどり髷」は、舞妓さんが芸妓さんになる直前に結われる「先笄」(さっこう)と少し似ている。しっぽのように短く突き出た「橋の毛」が、どことなくオシドリの冠毛を思わせ、なんとも豪華だ。「鬼」など、一瞬にしてはね除けてしまいそうである。
年少舞妓さんの「割れしのぶ」はスタイルを大きく変えることができないため、梵天(ぼんてん)やチョウチョをあしらうお染久松の「おそめ髷」を結われたりする。ちなみに、この髷は、江戸後期より明治にわたり若い女性たちのあいだで大流行したスタイルである。
そして「扮装」は芸妓さんのあいだでも行われる。これが、凄いのだ。先にも出た「お染久松」など古典的なものから、「Me and My Girl」などの「宝塚歌劇」、果てはハワイや中国の民族舞踊や「シンデレラ」、「アラビアンナイト」といったものまで、通常のお引きずり姿からはとうてい想像できない別のお姿へと、本格的に「扮装」され、なんと、そのお姿のままお座敷に出られるのである。
これも元を辿れば、鬼をやり過ごすため…。普段の自分とは違う姿に「化ける」ことで、立春前夜の夜にのし歩くとされる鬼を祓うのだ。この行事を「お化け」という。念のため、“幽霊”のことではない。元は、江戸末期から昭和初期にかけて、民衆のあいだで盛んに行われていた風習である。
盛んな頃は、おばあさんが振袖を着て、「桃割」など可愛らしい少女風の髷を結ったり、その逆に少女が大人の女性の髷「島田」を結う、あるいは、男性が「女装」し、女性が「男装」するというように、年齢や性別、身分に関係なく、「いつもの自分」とは違う格好をし、「化ける」ことで、厄を落とせると考えられていたそうである。
しかし、戦争をさかいに、しだいに減っていき、やがて民間で行われることはほとんどなくなった。やがて、この風習は、花街にも取り入れられるようになり、かつては芸妓さんだけでなく、「化けた」姿でお座敷にやってくるお客さんも多くいたという。
(上から)宮川町舞妓さんによる奉納舞、祇園東舞妓・富久春さん、上七軒舞妓の勝奈さん、祇園東舞妓・叶笑さん
花街によってもそれぞれ独自のやり方で「お化け」を行うそうだが、基本は、芸妓さんがペアか3~4名のグループになって、衣装やメイクなど「扮装」に必要な演出を研究し、自分たちで準備されるのだという。中には、小道具を揃えたり、照明を工夫したり、バックミュージックを編集したり、と舞台監督ばりの嗜好を凝らす方もいるというから驚きである。それもみな、馴染みのお客さんに「芸」を披露するためである。
たとえば、ミュージカル「オペラ座の怪人」がテーマなら、怪人と、主役の若手女優・クリスティーヌに扮した芸妓さんらが、イギリスの巨匠、アンドリュー・ロイド=ウェバーのサウンドに合わせて、演じてみせるのだ。「京都花街の芸妓さん」と「アカデミー歌曲賞やグラミー賞受賞の世界的作曲家」。両者とも、「芸」に秀でた「超一流」ではあるが、この組み合わせは、普通ではちょっとありえない。斬新すぎるグローバル・コラボレーションだ。その意味では、鬼に感謝しなくてはならないかもしれない。
「お化け」でお目見えする「芸」の練習は、通常のお仕事やお稽古の合間を縫って、個別に行われるそうだ。「春のをどり」やその他、技芸の発表会と同じように、何ヶ月も前から、練習に練習を重ねられるのだと聞いた。たとえ数分の、1日かぎりのお披露目でも、お客さんをいかに楽しませることができるかという「おもてなし」に徹したその心、そして「芸」にかける「情熱」が天下一品であることは言うまでもない。これぞ、エンターテイナー魂なり。
2月の簪
「花見」というと、まっさきに思い浮かぶのは桜の花だが、その昔、奈良以前の人々は、「花」というと「梅」を連想するほど、愛好していたのだという。25日、梅花祭が行われた北野天満宮でも「梅」をモチーフにした「星梅鉢」の家紋が使われている。
これは、銘歌「東風邪(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」を詠まれた御祭神・菅原道真公のご命日に行われる祭典である。梅をこよなく愛されていたという道真公の神前には「梅花御供(ばいかのごく)」と共に、大厄を祓う意味を込めて、42本の白梅と33本の紅梅の小枝を挿した神撰・紙立(こうだて)がお供えされる。
その歴史ある「梅」の花をモチーフにした簪を、2月の舞妓さんは主に飾られる。紅白のツートンカラーが本来の配色だそうだが、今年は、桃や淡い水色のアクセントが効いたデザインも多くみられた。10月の「菊」の簪にもみられるように、年少舞妓さんは、梅の小花をちりばめたようなタイプのものを付けられ、年長舞妓さんは、同じ梅でも、大きく一輪といった、より落ち着いて洗練された感じの装いである。シンプルかつ大胆なこのデザインには、水仙の花もあり、黄色のラッパ水仙のかんざしは、3月にかけて飾られる方もある。
梅花祭には上七軒の芸舞妓さんが総出で、参拝者に野点(のだて)のおもてなしを施してくださる。同敷地内にある梅苑では、早咲きの照水梅や寒紅梅がもうすでに咲き始めていて、「春はもうすぐそこまで来ているよ」と私たちに知らせるかのように、境内いっぱい、鼻孔をくすぐる芳醇な香りで包み込んでいる。すでに一般公開ははじまっており、3月の下旬まで開催される予定だ。黒梅(こくばい)や、和魂梅(わこんばい)などの珍種も観賞できる。
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