月刊 京の舞妓さん 12月号 【1】/2012年 - 舞妓倶楽部
日本語とは不思議なものです。“きちれいかおみせこうぎょう”、“かおみせそうけん“。耳で聞くと優しい音色の言葉なのに、「吉例顔見世興行」、「顔見世総見」と漢字ばかりが続けて並ぶと、どこか凄まじい迫力がありますよね。人によって感じ方はさまざまで...
Updated Date : 2017-09-14 15:46:56
Author ✎ maikoclub
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冬の京都といえば、『吉例顔見世興行』。顔見世興行といえば、芸舞妓さんの『顔見世総見』!
日本語とは不思議なものです。“きちれいかおみせこうぎょう”、“かおみせそうけん“。耳で聞くと優しい音色の言葉なのに、「吉例顔見世興行」、「顔見世総見」と漢字ばかりが続けて並ぶと、どこか凄まじい迫力がありますよね。人によって感じ方はさまざまでしょうが…、このふたつの“文字面”を初めて見た時、正直、圧倒されました。と同時に想像力を掻き立てられました。 目で追ううちに何となく、「“顔見世”だから、一所に誰かが勢ぞろいするんだろうな」とイメージできても、再び漢字をまじまじ眺めてみると「でも、これ、なんだか凄そう。実際、どんな行事なんだろう?」「もしかして、一般人は立ち入り禁止?」「そもそも、日本の行事なの!?」と、馴染み深い方にはお恥ずかしいかぎりなのですが…、かつての私は、頭の中であれこれ勝手なことを思い描いておりました。 さておき、本題に…。「聞いたことはあるけれど、よくは知らないなあ」という方へ。吉例顔見世興行は、冬の京都を賑わす一大ビッグイベントです。翌年の興行に出演する歌舞伎役者の顔ぶれを日本で最も古い劇場『南座』で二十六日間かけてお披露目する、というもので、元を辿ると、江戸時代の初め頃、四条大橋のそばには、「早雲長太夫座」(北座)と「都万太夫座」(南座)のふたつの芝居小屋があり、今でいうところの“PR活動”のために、互いの役者さんを披露し合い、競い合っていたことがそもそものはじまりだといわれています。
「毎年ね、南座に“まねき看板”が上がると、もう師走なんやとしみじみ感じますわ」とは、京都に生まれ育ったある生粋の京都人の方のお言葉。“まねき看板”とは、顔見世興行に出演する役者さんの名前をヒノキの板に墨で描いたもののこと。こちらは道路を挟んだ四条通、南座の向かい側からの一枚なので、すこし見づらいかもしれませんが、看板をひとつずつ、じぃっと目を凝らしてご覧になってみてください。 どうです、感じませんか?『勘亭流(かんていりゅう)』という独特の書体で書かれた文字、とにかく力強いです。興行の円満成功を祈るべく、「線は太く、決してかすれさせない」「まねき板いっぱいに、隙間なく書く」「漢字の“はらい”の部分は、全て内にいれる」「“角”をつけずに丸みのある文字で書く」ことを念頭に、書家の川勝清歩さんが一枚、一枚手描きされたものです。 まねきひとつの長さは、なんと180センチ!南座の前に立ち、今年掲げられた54枚のまねきを見上げると…、思わず、敬礼。役者さんが舞台で放つエネルギーをそのまま凝縮したような生命力がみなぎっていて、名前の文字を眺めているだけでも体感温度がぐぐっと上がる感じでした。 一方、「顔見世総見」とは、ひと月近く行われるこの興行の間の五日間に、各花街の芸舞妓さんが勢ぞろいで南座を訪れ、観客席両桟敷で観劇することをいいます。「まねきの下をくぐると縁起が良い」と古くから言われていることから、総見は、興行公演がスタートして間もないうちに行われることが多く、今年は3日が宮川町、4日先斗町、5日上七軒、6日祇園東、そして11日は祗園甲部というスケジュール。 12月初旬の京都といえば、もうぼちぼち雪が降りはじめてもいい頃…。しかし芸妓さん、舞妓さんが南座に集うこの時ばかりは、ひとつ季節を飛び越えて「もう真夏?」と思うほどの熱気でいっぱい。舞台には役者さん、左右を見渡せば色とりどりのお引きずりや色紋付に身を包まれた芸舞妓さんたち。 またとない贅沢な時間を体感したいとこの日を狙ってお席の予約を取られるお客さんも多いそうです。そして南座の前には、彼女たちの華やぐ姿をとらえようと、待ち受けるアマチュアカメラマンの人たちでいっぱい…。 南座の顔見世興行は最も歴史が古く、また、歌舞伎興行の中でも、一番重要な行事。しかも、六代目中村勘九郎の襲名披露が行われる今年はまた格別でした。しかし、悲しいことに…その前日5日、知ってのとおり、五代目中村勘九郎こと、歌舞伎俳優の中村勘三郎さん(十八代目)が、お亡くなりになられました。芝居とともに成長を遂げてきた京の花街は、今日も歌舞伎とのつながりが深く、衝撃はことさら…。 総見は、歌舞伎役者さんと同じ“役者”である彼女たちにとって、芸事の学びの場でもあり、交流の場でもあると共に、街を盛りたてる“立て役者さん”としてもたいへんなお役目を担われています。訃報の渦中でも、東西の桟敷席で総見される芸妓さん、舞妓さんたちをみると、どの方も皆、すーっと背筋を伸ばし、終始にこやかなお顔でしなやかな佇まい…。 そこに存在すること。その姿を披露するだけで見る者の心をとたんに和ませ、場に花を添えられる。けれども、舞台をみつめるそのまなざしはまっすぐで熱い。たとえるなら、朱の欄干よりも紅く、紅く燃えさかる情熱。これこそ、プロ意識の成せるワザではないでしょうか。感服です。
12月の簪(かんざし)
数ある中でも、顔見世総見の行われる12月の舞妓さんの簪は、斬新なデザイン。餅花に“まねき”のミニチュアが二つ付いています。まねきはどちらもぶらさがる仕様になっているので、舞妓さんが歩くたびに黒髪に揺れ、なんとも粋。羽子板や招き猫など、新春の目出度いお飾りも色とりどりで、見ているだけでも楽しくなります。 しかし、総見に行かれるまではどの方のまねきも“白紙”のまま…。「え、どうして?まねきは役者さんの名前を書く看板なのでしょう?」と思いますよね。実は、総見の当日、舞妓さんたちには秘かな楽しみが!幕間になると、それぞれ贔屓の役者さんの楽屋を訪ね、名をいれてもらうのです。それゆえ、毎年、この月、この日まで白紙で保たれているのだそう…。
立役の役者さんは墨、女形の役者さんは朱の色で、直筆されます。ザンネンながら、舞妓さんのように“木戸御免”のフリーパスで楽屋に入れる身ではなく、書かれている現場を拝見したことはないのですが、「かんざしは髪に挿したまま、書かれるのですか?」。聞くと、「おそらく一度外してから、役者さんに書いてもらうことがほとんどでしょう」と、花街関係者の方にお答えをいただきました。総見のあとも、12月の間じゅう、舞妓さんはこの簪を付けられます。 今月、まねきと共に舞妓さんの簪を飾る『餅花』は、実在する花の類いではなく、もとは予祝の装飾品のひとつ。餅や団子を小さくちぎり、“あられ”のように丸めて、柳の枝などに付けて飾る風習が、舞妓さんのかんざしに取り入れられたのです。地方によってもさまざまですが、主に小正月に五穀豊穣を願って、飾られることが多いとか。 キャッチフレーズを付けるなら『目で味わう美味な花』といったところでしょうか。綺麗で、美味しそう!不謹慎かもしれませんが、思わず、ゴクリと生唾を飲んでしまいます。 もうひとつ、“丸い形”といえば、『鏡餅』。簪とはすこし話が逸れますが、花街では12月13日を『事始め』といい、暦よりも一足早くお正月の準備にとりかかる日。各花街の芸舞妓さんたちは、お茶屋さんや芸事のお師匠さんなどに鏡餅を納め、あいさつをして回られるのが習わしです。 昔の鏡と形が似ていることから、鏡餅という名がついたというのは有名な話ですが、そもそも、鏡自体、天皇が歴代受け継いでこられた「三種の神器」のひとつ。“鏡には神様が宿る”ともいわれていますよね。二段に重ねたお餅は、「一年をめでたく重ねていく」、その上に乗せた橙(だいだい)は「代々栄えて、繁栄が続くように…」という願いのこもった縁起物。 このように古くから続く日本文化のひとつずつを大事に、大事に継承している花街。芸舞妓さんをはじめ、そこに暮らし、生きる人々に感謝の気持ちが湧いてきます。この先、どれだけ世界が進化しても、自分の“ルーツ”を忘れずに…。餅花しかり、鏡餅しかり。“丸”には身の引き締まる思いでいっぱいです。
Photos:Copyright(c)2012 Maiko Club All Rights Reserved Special Thanks to: WALKKYOTO(一部画像提供)http://walkkyoto.exblog.jp/i30/ ●月刊・京の舞妓さん 12月号【2】へ続く
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